検証:バス大震災時に機動力発揮事 「頼りになる地域の足」維持・育成が不可欠

 東日本大震災で果たしたバスの役割については、首都圏にいると新幹線代替の高速バスの運行ばかりが目に付いたが、現地のバス事業者は被災者救助や足確保に大車輪の活躍をし、バス車両それ自体が災害時に様々な機能を発揮した。先月16日に開催された第56回バス事業者大会での「東日本大震災に学ぶ、これからのバス輸送のあり方について」をテーマとしたパネルディスカッションでは、生々しい実態と教訓が語られた。

バス事業者大会・パネルディスカッション

ジャーナリストの鈴木文彦氏は津波被害と原発事故ばかりに目が向いたマスコミ報道の偏りに疑問を感じ、交通関係の被害状況や住民の移動の確保はどうなっているかを確かめるために何度も被災地に足を運んだ。
鈴木氏は「現地ではバスがいち早く機能し、頑張っているのに世間には伝わらなかった。バスが果たした役割を記録し、バスの大切さ、今後どう機能すべきかを発信したい」と前置きし、多数の現場写真を映しながらレポートした。
被災地のバスはまず避難・緊急脱出の「命を救う輸送」、次に生活に最低限必要な足の確保、そして地域や自治体とタイアップした輸送、地域事情に合わせた臨時路線の設定と機動的に対応し、鈴木氏は「バスの再開が人々に安心感と活力を与えた」と力説した。
幹線交通の面でも、被災地からの広域輸送、幹線鉄道の代替運行、仙台都市圏の地下鉄不通区間の代替運行などを例示した。
生活の移動手段としては避難所・避難先への送迎、自衛隊の仮設浴場・温泉施設への浴場送迎、買い物支援、避難所から病院への送迎、新学期のスタートに伴う通学輸送、原発事故避難区域の一時帰宅など多くの例を挙げた。
しかし、現実には南三陸町は補助金がかさむからとミヤコーバスを追い出し、市内交通はわずかな市民バスと乗合タクシー、隣接市とはJR気仙沼線だけに頼っていた。
その結果、JR気仙沼線の壊滅で丸2カ月間、公共交通機関がない状態が続き、地元の依頼によりミヤコーバスが臨時バスを運行し、ようやく外部とつながった。
鈴木氏は「最後に頼りになるのは地域に根付いたバス事業者」と訴え、「バスはいろんな可能性を持っている。それを地域に知ってもらい、社会全体でバスを育て、いざという時に役立つ仕組みを作ってほしい」と提起した。
宮城交通の大西哲郎社長は従業員・乗客の被害はなかったが、従業員家族は8人が死亡、12人が行方不明と報告した。31台のバスが津波で流出したものの、多くのバス車両は乗務員が高台に避難させて難を逃れた。だが、社員のマイカー93台が津波で流され、通勤用にレンタカーやリースカーを調達した。
震災発生直後は通信手段が全く機能せず、現場は管理者、運行中の車両は運転士の判断に委ね、数時間後には通信手段として車両無線の活用を決定し、主要営業所に貸切バスを配置。バス車両内で運行業務を行い、路線バスはMCA無線を活用し、本社対策本部と営業所間は貸切バスの無線でやりとりしたとリアルに語った。
震災直後から国土交通省、宮城県対策本部、各市町村をはじめ、個別の病院からも多くの緊急輸送の要請があり、「コントロールタワーが不在で、何を優先するかの判断に迷った」と明かした。
当初は乗務員の通勤マイカー流出や家族の被災、ガソリン不足などの悪条件が重なり、乗務員の出勤状況で運行系統を決めたという。運行再開は被災地・被災者支援の移動支援を最優先し、段階的に路線バス、高速バス、貸切バスの順に再開し、約1カ月後の4月18日には路線バスの平日ダイヤを正常に戻した。自治体からの要請に応え、JRの不通区間の代替輸送として、過去に撤退せざるを得なかった広域路線(仙台~各地域)を臨時に復活させた。
こうした体験を踏まえ、大西社長は震災直後の緊急輸送、震災後の地域の復旧・復興に多くの役割を果たしたと自負した。バス車両は機動性・収容力があり、冷暖房機能・通信機能・情報収集(テレビやラジオ)を備えていたことが役立ったと教訓化した。
そのうえで、①バス事業の生活インフラとしての位置付けの明確化②非常時におけるバス事業の水準を維持できる支援③規制緩和で体力を弱めている地方バス事業者への支援強化④地方自治体の地域交通に対する考え方の統一⑤安全に関する監督は国で責任を持ってほしいと要望した。

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