世界にはさまざまな路線バスが予てより走っているがインドの奥地・ヒマラヤの山岳地帯も例外ではない
その一端を綴った写真紀行本がKindle版で発売中!!
- タイトル
- ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅: 1985年夏…ヒンドゥスタン平原から海抜4000m超の峠を越えてラダックへ
- 価格
- 500円
- 購入先
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インド平原からヒマラヤ『ラダック』へのバス旅写真紀行本
路線バス乗り継ぎ旅行は、最近の日本においては旅の一スタイルとして確立しつつあるが、それもあってか、そのようなバス旅好きへ向けて、インターネットが普及する以前の1985年におけるインド平原からヒマラヤにある『ラダック』地方へのバス旅がどんなモノだったのかを伝えてくれる写真紀行本がKindole版で発刊された。
内容は、バスからの車窓写真をメインに、街のスナップ写真やエピソード文を交えて綴っおり、車窓の雄大な山岳風景を眺めていると、その頃のインド・ヒマラヤ地方へといざなわれてゆく気がしてくるから不思議だ。
車窓写真がメインのためバス自体の写真は少ない。しかし筆者が元々は鉄道雑誌のカメラマンだったこともあってか、巻頭ではインドの蒸気機関車の写真も掲載されたりしていたりと、乗物ファンの視点に立った部分も見受けられるので、インドの当時のインフラを伝える本としても貴重なのではないかとも思う。
では誌面から、バスもしくは乗り合い自動車が写っている画像3点を抜粋し、その写真に添えられているキャプションをサイト用に一部加筆修正した文とともに、ここで紹介していこう。
ソーナマルグの村では、この先に立ちはだかる3,530mの峠ゾジ・ラを越える道が交互通行のため、バスはしばし停車する。道の遥か先には、いよいよこれから挑むインドヒマラヤ山脈の峰々が望める。
約2時間程待った頃、カルギル方面からゾジ・ラを越えてきた路線バスが次々に到着しだした。いよいよ我々のバスが出発する時間が迫ってきたのだ。ちなみに私が乗っているバスもこれらと同じ感じの車両である。
カルギルの町は周囲を岩だらけで岨しく乾いた峰々に囲まれた中にある、ここだけ緑が豊かな、砂漠でいうところのオアシスのような場所。宗教的には、インドヒマラヤを越えたとはいえ、そこはムスリムが多く住む土地だ。
レーのバススタンドの朝の光景。シュリーナガルなどへ行く長距離バスは夜が明ける前にすでに出発してしまっており、陽が出てからはラダック内へ向かうローカルバスの発時間となる。中央に停まるトラックのようなクルマも、先日にカルシーの村で見た同様の型の自動車からすると、乗り合いバスと思われる。ちなみに現在のバススタンドの位置はここよりも町はずれに移転しているとのことだ。
そして次の画像は表紙の左下にサブとして使用された写真。その右に添えられているリード文を一部加筆してcap.として紹介しよう。
ヒマラヤの先にある『ラダック』地方は、行政的にはインドのジャンムー・カシミール州に属しているが、チベット高原に流れを発するインダス河の上流に位置し、周囲を高い峰々に囲まれた土地で、宗教的にもチベット仏教圏であり、地形的にも文化の面でもチベット世界の一部といえる。
このラダック地方へ行くには、今でこそデリーから航空機でひとっ飛びするのが主流だが、1985年当時は路線バスによって行くのが一般的だった。
インド平原の街ジャンムーから1日で海抜およそ1,700mの避暑地シュリーナガル、そこで乗り換えて2日掛けて海抜4,107mの峠を越えてラダックの中心地、海抜3,521mのレーに着く路線バス743kmの旅。
本書ではそこからさらに、当時の旅行者が行けた最奥部の地ヘミスまでの車窓も辿ってゆく。
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